1. TOP
  2. お知らせ一覧
  3. 7days cards 藤原弥生さん インタビュー
銀座・伊東屋 本店

7days cards 藤原弥生さん インタビュー

銀座本店をはじめ、各店のカード売場で人気のポストカード「7days cards(セブンデイズカード)」
2020年で誕生から40年を迎えます。

40周年を記念し、G.Itoya1階 あづま通り側イベントスペースにて、代表作や最新作を一堂にご覧いただけるイベントを開催いたします。
会期:10月8日(木)~21日(水)
>「7days cards 40th Anniversary」イベントについてはこちら

このたび、「7days cards」藤原弥生さんに作品の魅力に迫るインタビューを行いました。
ポストカード作りの始まりから、40年間続けてこられた思いなど、貴重なお話をお聞きしました。
(インタビュー:2020年9月 G.Itoya10階 HandShake Loungeにて)


20201005_7days_1.jpg


■7days cardsが今年の秋で40周年を迎えられます。スタートした1980年は、藤原弥生さんにとってどんな年だったのでしょうか。
ポストカードを作り始めたきっかけを教えてください。なぜ、ポストカードだったのでしょうか。

1980年というと、大学を卒業して6年。私はヒッピー世代で、自分で何か物を作って、どこかで売る、何かに属さず、自分で作った物を売って生活したい。というのがまず最初にありました。その時に始めたのが、シルクスクリーン印刷の手摺りポストカードです。

20201005_7days_2.JPG

第1作目は7枚セット。最初から7枚のコンセプトでした。
「1週間」。月曜日から毎日1枚ずつで7枚。
これがシルクスクリーンの原型。
シルクスクリーンで自分で摺っていました。100枚摺っていたけれど、けっこう失敗もしました。

ロゴマークのシールはデザイナーの羽良多平吉氏に頼みました。この7days cardsのロゴは今も変わらず使っています。

20201005_7days_22.JPG

初期の7枚セットとロゴマークのシール。このシールで封をして販売。

商品として販売をしようと決め、一番最初に訪ねたお店は青山(東京都港区)の「on Sundays(オン・サンデーズ)」でした。
7days cardsは1980年に名古屋でスタートして、その後、東京にポストカード専門店があると聞き自分で営業しました。28歳の時。
――売れ行きはいかがでしたか?
いやー、ひっそりですよ。
でもそこから始まって、40年間ずっと途切れることなく。オン・サンデーズとも40年。
7枚組みで24作目まで続きましたが、力尽き30歳のときにオフセット印刷に変えました。

★1番最初のポストカードは、このたびのイベント会場に展示いたします。
初期のシルクスクリーン印刷の手摺りカードも少しですが販売します。

■なぜポストカードだったのでしょうか。

ポストカードのサイズが自分にぴったりでした。

ポストカードが好きです。特に好きなのはオノヨーコさんのもの。71年。衝撃的でした。コンセプチュアルなカードとしてとても衝撃的で。どこで手に入れたのかは記憶にないです。日本か、アメリカか。


20201005_7days_4.JPG
右 オノ・ヨーコさんの丸い穴のあいたポストカード

その頃から集めた気に入ってるポストカードは、部屋の壁に貼ってあります。

20201005_7days_5.JPG

■作品を作りはじめた頃

一番最初、私の原点は、貼り絵です。黒地にピエロがいる。それは20代中盤。その後にカードにしました。それも今回出します。
貼り絵がコラージュになり、花のシリーズになり。
基本的には手法としてコラージュが好きです。当時はコラージュがはやっていました。私は70年代が青春真っ只中。70年に名古屋から東京に来て、日芸(日本大学芸術学部)でいろんな人に会い、刺激を受けました。70年代のヒッピー文化、ヒッピー商法(とは自分で作って自分で売ること:藤原さんの造語です)をずっとひきずって、40周年まできたっていう感じです。

20201005_7days_6.JPG

これは、伊東屋で最初に買ったカードです。郵便番号欄が5ケタ!!
輸入ではない、日本のカードで、手作りのものです。(メーカー不明) 学生時代に買って、1970年代くらいのカードだと思いますが、大切にしています。
私は伊東屋で買ったカードは、全部取っておいてあります。

手紙はすごく書いていました。紙ものを集めることも好きです。小学生のときから好きでした。鉄腕アトムや、マーブルチョコレートに入っているシールのようなものを集めていました。紙ものはずっと好きだったんだと思います。紙を、切るとか、貼るとか、好きなんですよね。書く。ではなかったです。

■作品を世の中に発表したのはいつ頃ですか。

大学は演劇でした。でも貼り絵を雑誌などに載せてもらって、バイトをしていました。編集部に頼まれて、小さな貼り絵で猫などを作っていたこともあります。ブロンズ社というところの目に留まって、貼り絵の本を出したのが最初です。白い汽車が走ってる という本でした。
トライの時代だったと思います。
私は、「絵はがき製造卸業」として仕事をしてきました。
作家や職人というよりも、個人商店の店主です。それはずっと変わりません。

自分のカードを置きたいお店は、自分の好きな、いいな。と思うところに営業に行きました。オン・サンデーズや伊東屋に行きました。
伊東屋で最初に会ったのは男性のバイヤー。私はといえば、麦藁帽子なんかをかぶって、見せる物といえば、無地のカードや、動物の猫などの切り絵のシリーズ20タイプ。そのバイヤーさんが、「無地のいいじゃない」と、「印刷コーナーに置こうよ」って言ってくださって、それで伊東屋とお取引が始まりました。
それが今から35年前。1985年8月1日(昭和60年)のことです。

■1年間に5回新作を発表されていますが、デザインのアイデアはどこからくるのでしょうか。

アイデアは日常から。季節に合わせて。
クリスマス、年賀、バレンタイン、夏、秋。
だいたい2ヶ月くらい前から考えます。

この1年5回はずっと。10周年頃からかな。10周年の頃はバブルの時で、90年代前半がけっこう売れていて、アイテムが少なくてもすごく売れていました。

■活版印刷の魅力を教えてください。 いつ頃からこのシリーズははじまりましたか。

機械で刷ってお店に卸していくという方式と、活版印刷で、少ない印刷で、自分でやって売りたいという気持ちがあって。活版印刷は2003年から17年やっています。2004年に100種類出しました。
活版印刷は原点に戻りたい、やっぱりなにか自分の手でやりたい、ということから、縁があって始めました。

20201005_7days_20.JPG
愛用のアダナと活字

20201005_7days_21.JPG


初期に作った花のコラージュのものは、「7days cards Private」として、好きに作っています。古いポストカードをコラージュしています。当時、神保町の「あべのスタンプ」(現在は閉店)に行き古い紙製品に刺激を受けました。新しくても古くても、やっぱり紙のものは好きです。 

20201005_7days_7.JPG
「7days cards Private」のカード

■「この環境が整わなくては作品にとりかかれない」という絶対はありますか。

作るモードに入るには、今までに購入したグリーティングカードや資料などを、絶対に見ます。
クリスマスをやろうと思ったら、今まで買ったクリスマス柄がどっさりあって、それを全部見ます。国内外の自分の好きなものが山ほどあるから、毎年見るんです。
それにちょっと時間がかかって、それから自分のデザインに行く感じです。それが儀式です。
自分の中の儀式です。ものを作るための入り口という感じ。
そうするとなんとなく意欲がわいてきます。ただ白い紙で始めるのはちょっと難しい。スケッチをすることもありますが、自分の全資料からインスピレーションを受ける。


20201005_7days_8.JPG
さまざまなコレクションから受けるインスピレーション。7days cardsの素。

■制作の時間は一日の中でいつ頃ですか。一日の流れを教えてください。

特に決めていないです。
制作の期間はあります。それは印刷屋さんに出す期限によります。シーズン毎に1ヶ月くらい前から始めて、いろんなものを見たりしてそういうことを繰り返してだんだん作っていく感じです。最後に一気に行く場合もあるし、すごく時間がかかる場合もあるし。
何タイプか作ってその中から2,3種類選びます。今は姪たちのMomon Kayon(モモンカヨン)も見ないといけなくて・・・。
プロデュースにも時間がかかります。

作るときには外に出る仕事をしないと決めています。こもる感じです。

■気に入っているポストカードは。

今までの作品は2,000枚近い数があります。
とりわけ「ハート」のモチーフが好きです。

20201005_7days_9.jpg

意識はしていなかったけれど、子供の頃からハートは好きだったと思います。ハートのモチーフが多いです。
私が描いたハート。自分の好きな形のハート。シャープな感じのハートです。
ハートのモチーフがほんとに多いです。
だからバレンタインのポストカードには力が入ります。
需要に合わせた。ということもあります。やっぱり売れないとだめだな、そうしないと続けられないな。という気持ちがある時から出てきました。作りたい物と売れる物とのバランスをずーっと調整してきています。
40年間ずっと調整をしてきていますが、今も勉強中です。

■ご当地シリーズについて。どのような経緯ではじめられたのか教えてください。

ご当地シリーズの最初は名古屋の「金の鯱」です。(藤原さんは名古屋出身)
観光はがきも作ってみたくてはじめたシリーズです。

20201005_7days_24.JPG
ご当地シリーズ「金の鯱」「東京」「京都」

■最大のピンチはありましたか。

今年(2020年)はピンチです。
もしこの40周年がなかったら、がんばれなかったと思います。

■ポストカード作りをやめようと思ったことはありますか。

作りたくないなと思うことはたびたびありました。コンスタントに作らなければならない。というプレッシャーに負けそうになるときはありました。「もう辞めたいな~」と思うこともありました。
それを乗り越えられたのは、季節はめぐってくるから。
1シーズンも穴をあけたくない。
自分の怠慢でできなかった。ということの説明を、それをうまく言えないな。と思いました。だから季節がめぐってくるたび作ります。お客さまは鋭いんです。

10年前、30周年の時に、投函するときに胸が高まる そんなポストカードを作り続けて行きたい。と思いました。
この時代になっても同じです。

今回のことで(コロナ禍)、郷里に帰れないとか、会えなくなったこと、というのでメールだけじゃなく、手紙を書く人も増えたそう。うれしいことです。

■40周年を迎えてのご感想、そして、この度のイベントについてひとこと。

40年は長かった。
山あり谷ありだったなと、40周年を迎えてそう思います。

ポストカードだけで続けていく。私はこれしかできなかった。ということがあります。
今はよかったと思ってます。

■Momon Kayonさんたちが入ってきて一緒にやるようになって12年です。

新しいレーベルMomon Kayonが始まったのは2008年のクリスマスからです。Momon Kayonシリーズは私の姪2人のブランド名です。
この10年その力はすごく大きくて、30周年まではなんとか私ひとりの力で自力でやってこられたけれど、40周年を迎えられたのはMomon Kayonのおかげ。それははっきりしています。
2人はデザインができる、ということがありがたいです。物を作れるということがすごくよかった。
――もともと一緒にやりたいと思っていたのですか。
宣言も何もなくアルバイトから始まっているので。作業・荷造りから始まっています。
Momon Kayonがスタートする前、一番最初のデザインは、下の姪(Momon)が、宅配便の伝票の裏にささっと猫を描いていて、これいいじゃない。と私が思って、すぐカードにしました。

20201005_7days_11.JPG
これがMomon Kayonの前身

このカードが初めてお店に並んだ時のことは今でも覚えていて、渋谷でした。
ハートの178と179(ポストカード裏面にある商品番号)。お店で一番前に出してあって、陰で見ていたら、お客さんが来て、ぱっと取って、裏を見て戻した。でもまた見て、買った。
それで、「あー良かったー」と思いました。
そして7days cardsの新しいシリーズがはじまりました。


20201005_7days_23.JPG
Momon Kayonのロゴマーク 宇野亞喜良 氏デザインによる

20201005_7days_13.JPG
左2点Momon 右2点Kayon の代表作

姪たち二人の個性が出てきました。


20201005_7days_14.JPG
ポストカードのモチーフになっている柴犬の「ふくちゃん」
下の姪の飼い犬です。

20201005_7days_15.JPG
刺繍の、ペンギンに乗っている柴犬が、ふくちゃん。

■藤原弥生さんの七つ道具

20201005_7days_16.JPG
ルーペ
よく切れるはさみ
鉛筆削り ファーバーカステル
ジェットストリーム0.7mm 多機能4色 三菱鉛筆 (絶対0.7の多機能が好き)
ボールペン スーベレーン ペリカン
マッキー 極細 ゼブラ
消しゴム mono
鉛筆 ステッドラー FとHB
マスキングテープ シルバーとゴールドと赤とピンク
7コレクション (7ってあるとつい買ってしまう)

20201005_7days_17.JPG
弥生さんが長年使い続けてきたスマイソンの手帳

30周年までは黒でした。以降は色のあるものを選んでいます。

■今後の活動予定を教えてください。

Momon Kayonと一緒に7days cardsの新しい道を模索したいです。

20201005_7days_19.jpg
仕事のメモ一部